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東京地方裁判所 昭和43年(モ)1318号 判決 1969年2月20日

債権者 学校法人慈恵大学

右代表者代表理事 樋口一成

右訴訟代理人弁護士 高橋義次

同 大塚伸

同 明念恭子

債務者 佐藤タカ

右訴訟代理人弁護士 斎藤展夫

同 石崎隆春

主文

債権者と債務者との間の東京地方裁判所昭和四二年(ヨ)第一一、一一八号建物一部明渡仮処分申請事件について、当裁判所が同年一二月二六日になした仮処分決定は、これを認可する。

訴訟費用は債務者の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

(債権者)

主文と同旨の判決

(債務者)

主文第一項掲記の仮処分決定を取消し、債権者の申請を却下する判決

第二、申請の理由

一、債権者は、昭和四二年六月二五日債務者との間で、債権者所有にかかる別紙物件目録記載の附属病院に債務者を入院させる契約を締結し、債務者は、同目録記載の病室に入院し病床を占有使用していた。

二、入院契約の基本的な目的は、患者の病状が通院可能な程度にまで回復するよう治療に努めることにあるから、医師の判断により、右目的を達し、病状が入院を継続する必要のない程度に治癒した場合は、患者の意思如何にかかわらず、右契約は終了するところ、債務者は、入院当初の診断では多発性神経炎の疑いがあったが、諸検査の結果、同年八月末ごろ、右程度にまで健康状態が回復し、入院を継続する必要のないことが判明した。そこで、債権者は、右健康状態の回復を理由に、債務者に対し再三退院を勧告し、同年九月二〇日最終的に退院を通告した。

以上のように、債権者は、所有権および入院契約に基づき債務者に対し右病室の返還請求権を有する。

三、しかるに、債務者は、未だに退院しないばかりか、

1  同月一三日荻原主治医が退院を勧告した日から債権者の提供する食事に手をつけず、一時外食などしていたが、最近に至り病室のベットの上で簡単な食事の調理をするようになり、このため同室の患者から睡眠が妨げられるので他の病室に移転したいという希望が続出し、

2  他の病室を巡回し、他の患者に対し、「荻原医師から退院許可のあった患者で退院前日病状が悪化して死亡した者がいる」など根拠のない医師の悪口をいいふらし、「退院許可には絶対に従う必要がない」旨煽動し、医師に対する不信感を増長させるが如き言動をなすため、退院間際の患者達が退院命令に従わないという例が続出し、病院の入院事務に支障をきたし、

3  病院の提供する薬を毒が入っているからという理由で服用せず、勝手に市販の利尿剤を購入して飲み、その結果、夜中に何度もトイレに通うため、ドアーの開閉音で他の患者の安眠を妨害し、このため他の患者達にノイローゼ気味の症状が現れている現状であり、

4  また、同年九月以降の入院費用を支払わない。

以上のように、入院加療の必要のない債務者が退院しないという事実もさることながら、他の患者に債権者の治療行為に対する不安を与え、退院命令に従わないようなことを煽動するが如きは、債権者にとって黙視できない緊急な事態に陥っているといえるのみならず、右附属病院には入院申込が殺到し、是非入院を必要とする重症患者も相当数いるにもかかわらず、病室不足のため心ならずも入院申込を断わり続けている状況にあり、債務者に病室を占領されていたのでは、充分救いうる貴い人命を失なうことにもなりかねず、このことは、社会公共の立場よりみても、回復し難い重大なる損害であるといえる。

以上のように、本件仮処分は必要がある。

第三、申請の理由に対する答弁

一、申請の理由一記載の事実は認める。

二、同二記載の事実のうち、債務者の健康状態回復の点は否認する。債務者の健康状態は入院当初と変化がない。

債権者は、債務者には入院を継続する必要がないと主張するが、これは現実に病気が治癒していないことおよび患者の健康を取戻したいという入院契約に基づく基本的権利を一方的に無視したものというほかない。患者は納得のいく診察を要求していることおよび患者の健康は医師に全面的にゆだねられていることから、入院継続の要否は入院患者の意思を尊重しなければならないことは社会通念であるからである。したがって、単に医師独自で右要否を決定するのではなく、患者の意思を尊重し納得させねばならない。しかるに、債務者は、入院継続を希望している。

以上のように、債権者の目的到達による入院契約終了の主張は理由がない。

三、同三の1ないし3記載の事実はすべて否認する。同4記載の事実については、債務者は債権者から支払の請求を受けていない。疎明資料中の請求書なるものをみると、合計八、二九八円の未払ということになるが、債務者は、入院契約当時一二、〇〇〇円の保証金を出しているから、債権者には損害がない。

債権者は、債務者を病室におくことにより、社会公共の立場よりみて、回復し難い損害を被ると主張するが、債務者の健康を回復させることが債権者の任務であって、それを放棄し債権者の利益を追求するため、患者を犠牲にすることは誤りであることは明白であるから、右主張は理由がない。本件仮処分が執行されると、債務者は、健康を害し、回復し難い損害を受けることになる。

第四、疎明関係≪省略≫

理由

一、入院契約に基づく債権者の病室明渡請求権の存否について判断する。

昭和四二年六月二五日債権者と債務者との間で入院契約が締結され、債務者が債権者主張の病床を占有使用し、治療を受けていたことは当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫によれば、債務者は、同月中旬外来患者として前記附属病院で診察を受け、その際足のむくみ、手足の痛みなど一応多発性神経炎もしくは心不全の疑いのある自覚症状を訴えたことから、右症状の原因を突止め、入院加療の要否を診断するため、入院して精密検査を受けることになったこと、そして、同月二六日債務者が入院して以来、各種の精密検査が行われ、その結果、債務者は、同年八月末最終的に、入院加療を要する他覚的所見が認められず、入院を継続する必要がないと診断されたこと、そこで、債権者は、主治医や事務局を通じて、これを理由に債務者に対し再三退院を勧告し、同年九月二〇日最終的に退院すべき旨を通告したことが一応認められ、右認定を左右するに足る疎明はない。

ところで、入院契約の目的は、病院側において、入院患者の症状を診察し、右症状が通院可能な程度にまで回復するよう治療をなすことにあり、入院治療の必要の有無は医師の医学的、合理的な判断に委ねられ、患者の訴える自覚症状はその判断の一資料にすぎないもので、医師が当該患者に対し入院治療を必要としない旨の診断をなし、右診断に基づき病院から患者に対し退院すべき旨の意思表示があったときは、特段の事由の認められない限り、占有使用に係る病床を病院に返還して病室を退去し退院すべき義務があるものと解すべきところ、以上の事実によると、債務者は、各種の精密検査の結果に基づく医師の医学的、合理的な判断により、もはや通院治療が可能な程度にまで症状が治癒し、入院加療を必要としない健康状態にあることが判明し、これを理由に病院から退院通告を受けたのであるから、右入院契約は、目的の到達により、終了し、債務者は、同契約上債権者に対し占有使用中の右病床を返還し、病室を退去して退院すべき義務があるといわなければならない。

二、そこで、本件仮処分の必要性の有無について判断する。

≪証拠省略≫によれば、債務者は、同年七月一五日主治医の交替を要求し、ハンストなどの非常手段も辞さない旨の意思を表明し、一方的に右要求を押付けたことがあり、この一件にみられる如く、従来から、気に入らないことには医師等の指示説得にも耳をかさず、自己本位の勝手な振舞をするため、債権者としても、その取扱に苦慮していたが、同月二〇日の退院通告以後債権者は、債務者に対し一切の治療行為を中止し、債務者は、病室で自炊を始め、また、他の病室に自由に出入りして、医師等の悪口を吹聴してまわり、退院間近かの患者に対しては退院延期を煽動するなどして、単にひんしゅくをかうばかりでなく、他の入院患者に対し安眠を妨げるなどして、入院生活の平穏を侵害する結果をまねいていたことが一応認められ、右認定を左右するに足る疎明はない。

以上の事実によると、債権者にとって、債務者が事実上入院を継続することは、他の入院患者に対する治療効果に悪影響を及ぼし、入院事務の円滑な遂行に支障を来すのみならず、他の入院を要する患者の入院治療の機会を奪うことにもなり、病院の運営上放任しがたい事態を惹き起していたものと認められるのに対し、債務者にとっては、もはや納得のいく治療を期待できない病院に留まることが、はたして自己の病気療養上の効果を挙げ得るや極めて疑わしく、本件仮処分の執行により債務者の受ける損害はさして大きいとはいえないのであるから、本件仮処分の必要であることについても疎明があるといわなければならない。

三、以上の理由により、本件申請を認容した本件仮処分決定は、相当であるから、これを認可することとし、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長井澄 裁判官 清水悠爾 小長光馨一)

<以下省略>

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